2011年4月18日月曜日

書評:"Palimpsest"




回想録Palimpsestは間違いなくゴア・ヴィダルの最高傑作だ。エッセイストとしての天才と小説家としてのストーリーテリングの能力、機知に満ちたインタビュイーとしての警句の数々、その全てが完璧に一体となって効果を発揮している。これほどの完成度と内容の面白さを兼ね備えた作品はヴィダルの作品史上でも希有だ。回想録という全く日本人受けしないうえ、文学というフィールドでは見落とされがちなジャンルでその天才を存分に発揮してしまうところにヴィダルの不幸がある。
何故、ヴィダルがこの回想録を小説の形で発表しなかったかは大いなる疑問であり、悔やんでも悔やみきれない判断ミスだったと思う。トルーマン・カポーティの『叶えられた祈り』のように実在人物を全て実名で登場させ、小説と銘打って発表すれば、彼はアメリカのプルーストになれただろう。

Palimpsestはヴィダルが小説家として未だ成功を収めていなかった前半生を振り返った回想録である。盲目の上院議員の孫として生まれ、第2次世界大戦に軍の輸送船の航海士として従軍。戦争小説Williwaw21歳で出版し、小説家デビュー。期待の新人として注目されるが、23歳の時、アメリカ文学史上初めて同性愛を肯定的に扱った『都市と柱』で大論争を巻き起こして文壇を一時追放される。その影響で経済状況が悪化したため変名出版や脚本家としての活動を余儀なくされ、ブロードウェイで2つの大ヒットを送り出して苦境から抜け出し、政治にも色気を出すものの、下院議員選で惜しくも落選。イタリアに渡り、歴史小説『ユリアヌス(Julian)』を書き上げてベストセラー1位に送り込み、ようやく小説家として返り咲くまでが、1994年の生活と平行して描かれる。

もちろん、これは概要に過ぎない。「嘘八百?」で始まるこの回想録には俄には信じ難い彼の紆余曲折に満ちた華々しい人生が、歯に衣着せぬヴィダル一流の文章で描かれている。ゴシップにも事欠かない。自分のバイセクシュアリティについての考察、ジャクリーン・オナシスと義理の血の繋がらない兄妹であること――最終的にヴィダルは「彼女は金が一番重要だった」と一刀両断している。アナイス・ニンとの関係。テネシー・ウィリアムズとの長きに渡る友情、トルーマン・カポーティとの確執、ジャック・ケルアックとの情事(!)、ジョージ・サンタヤナやEM・フォースター、アンドレ・ジッド、ジャン・コクトー、クリストファー・イシャーウッド、ポール・ボウルズ、ウィリアム・S・バロウズとの出会い――ヴィダルはEM・フォースターについて「彼は当時存命の小説家の中で最も尊敬する1人だった。しかし、実際の彼は本当に嫌な奴だった」と遠慮がないし、ジッドとの邂逅では何とも間抜けな光景が展開される――ジッドは訪問したヴィダルにいきなり美少年の児童ポルノ写真を自慢気に見せたので、ヴィダルはドン引きしてしまったのだ。ジョアン・ウッドワードとポール・ニューマンとハワード・オースティン(ヴィダルのライフパートナー)との四角関係と奇妙な同居生活。アルコール中毒の母親との問題。政治的活動のエピソードにも事欠かない。JFKやエレノア・ルーズヴェルトとの友情関係。下院議員に立候補し、善戦するも僅差で落選。ケネディ政権への参画とRFKとの対立により、ホワイトハウスを去るエピソード。ヒラリー・クリントンとの会談(1994年)。思わずニヤリとしてしまう、ユーモラスにして、ショッキングなエピソードが矢継ぎ早に繰り出される。

しかし、この回想録の通奏低音になっているのは、こうしたゴシップではなく、皮肉屋で冷笑家のヴィダルには珍しく、『都市と柱』を捧げた初恋の人、JT=ジェームズ・トリンブル(19歳の若さで、太平洋戦争中、硫黄島で戦死)との純愛である。ヴィダルは彼の墓の隣に自らとハワード・オースティンの墓地を購入したことを告げて、この回想録を終える。

この回想録は痛快無比で、正にヴィダルの毒舌の真骨頂であり、当時のアメリカン・カルチャーに興味がない人でも、人生を芸術にしてしまった――あたかもオスカー・ワイルドのように――1人の男の波瀾万丈な回想を心ゆくまで楽しむことが出来るだろう。

柳下毅一郎氏もその日記で「機内ではゴア・ヴィダルの回顧録を読む。いきなりジャッキー・ケネディが義妹(というか義理の父の再婚相手の連れ子がジャッキーだった)とかって大ネタが出てきて痺れる。メチャクチャ面白いんですが、なかなか読み進めず、映画ネタとか出てくるのはまだまだ先だな。」と書いておられ、メールを遣り取りさせて戴いた時も「翻訳したいが時間がない」とおっしゃっていたのを思い出す。加えて、柳下氏はヴィダルの魅力は「良い意味での軽さ」だと言っていたのが印象に残る。

Palimpsestの日本での翻訳を心から望んでやまない。たぶん、まだ無理だろう。だが、あれだけ日本で無視されていたイギリスのユーモア作家P・G・ウッドハウスが少女漫画化されてしまう時代に我々は生きているのだ。何が起こるかわからない。切に翻訳希望! と叫んでこのレビューを終えよう。

(この書評は削除した私のゴア・ヴィダル・ファンBlog“Homage to Gore Vidal”(FC2)に掲載したものに加筆・修正を加えた)

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