2011年5月30日月曜日

映画評:ゴア・ヴィダル出演映画『きっと忘れない』


『きっと忘れない』というと「ああ、ZARDの歌の」と反応されることが多いが、そうじゃねえよ、そういう邦題のアメリカ映画があるんだよおおお、ということで、今回紹介するのはゴア・ヴィダルの俳優としての出演作品『きっと忘れない』(原題:With Honors)。ヴィダルの俳優デビューは1945年(一説には1946年)、アナイス・ニンと出演した白黒のサイレント映画Ritual in transfigured timeにまで遡る。
 20歳の若きヴィダルの出演シーンは6:04から。興味のある方はご覧になって下さい。以後、ヴィダルは彼自身の役やエキストラのようなカメオ出演も含め、続々と映画出演を繰り返していくが、1992年の『ボブ★ロバーツ』まで本格的な映画出演は見送られた。
 ヴィダル自身が映画マニアで映画脚本執筆は決して金に困ったからだけではないことは、海外のヴィダル・ファンや主人公が映画オタクでもある彼の代表作『マイラ』の読者ならわかると思うが、実際にヴィダル自身、クラシックなミュージカル映画を偏愛し、ハーバード大学での映画についての講義をまとめたScreening Historyを出版している。俳優としての映画出演は飽くまで余技だが、そこには決して遊びだけではない、真摯さが感じられることもまた事実だ。ヴィダルが映画出演のチャンスを虎視眈々と狙っていたことを知っていた彼の生涯に渡るライバル、トルーマン・カポーティは『名探偵登場』で主役級の役を射止めた時、「ヴィダルのやつびっくりするぞ!」と快哉を上げた。
 ヴィダルの俳優としての演技の質に言及すると、残念ながら可もなく不可もなく、と言ったところだ。手堅い演技で与えられた役をしっかりこなすという、スキャンダラスな彼の経歴には似つかわしくない――失礼――老練さを発揮している。ただ、ヴィダル自身、大層なイケメン――アナイス・ニンやマーティン・エイミスはその容姿を絶賛している――なため、ヴィダルが重要な役回りをこなしている映画を観ることは美老年フェチにとってはたまらない快感であることも確かだ。
 さて、『きっと忘れない』だが、悲しいことに、ジョー・ペシの好演以外、特筆すべき点がある映画ではない。官僚を目指し、卒論の優秀賞を狙うハーバード大学の学生である主人公がジョー・ペシ演ずるホームレスと出会い、徐々にその考えを変えていくというストーリーだが……正直言って、よくある「社会から見下されている種類の人間と出会ったら賢い人だった」的な物語で、それほど感動する話でも笑える話でもない。
『きっと忘れない』のヴィダルの役回りだが、彼は一種の悪役として、主人公の卒論の指導教授として登場する。辛辣で厳格でエリート主義のハーバード大の教授としてのヴィダルはほぼ本人そのもので、ジョー・ペシとの論戦シーンも含め、素敵な美老年っぷりを見せつけており、ゴア・ヴィダル好きには一見の価値がある。
 ただし、ただし……ただそれだけの映画であることをくれぐれも忘れないで欲しい。ジョー・ペシとゴア・ヴィダルのファン、青春ヒューマンドラマ好きの方にのみ観る価値がある映画ではないだろうか。『ボブ★ロバーツ』や『ガタカ』のようにゴア・ヴィダルが重要な役回りを演じ、映画としても堂々とした出来映えである作品とは違う、ということを記して、本稿を終えたいと思う。
(この映画評は削除した私のゴア・ヴィダル・ファンBlog“Homage to Gore Vidal”(FC2)に掲載したものに加筆・修正を加えた)

2011年5月25日水曜日

Gore Vidal in Ravello Part3

・An Interview with Signor Vicenzo Palumbo at Hotel Villa Maria(ホテル・ヴィラ・マリッアでのヴィンセンゾ・パルンボ氏へのインタビュー 2011年3月9日~10日)

 ラ・ロンディネイアでのインタビューに引き続き、ホテル・ヴィラ・マリッアのロビーでヴィンセンゾ・パルンボ氏は2度に渡るインタビューに答えてくれた。私はゴア・ヴィダルの私生活にかなり踏み込むことを決意して、このインタビューに臨んだ。
インタビューが行われたホテル・ヴィラ・マリッアのロビー
――あなたとゴア・ヴィダルはどれだけ親しい間柄なのですか?
「私とヴィダルの付き合いは彼がラ・ロンディネイアを買った1972年から今までずっと続いている。39年になるね。去年(2010年)の夏、息子はロサンゼルスの彼の自宅に招かれた。彼はヴィダルの大ファンでね。私もそうだが、ヴィダルの本を全て読んでいる。ヴィダルも彼を可愛がっている」
――あなたが最も気に入っているヴィダルの著書は?
「回想録Palimpsestだね。小説だと『マイラ』と『マイロン』だ。ほら、そこの本棚に3冊ともある。彼はイタリアで非常に評価が高く、ベストセラー作家だ。ほとんどの著作はイタリア語に翻訳されている」
 ローマで日参した英書専門書店アングロ・アメリカン書店のマネージャーも同様のことを語っていた。9.11に関するヴィダルのエッセイ集Perpetual War for Perpetual Peace or How We Came To Be So Hated(2002)はアメリカ政府の対応への激烈な批判によって出版拒否に遭い、イタリアで先に出版され、話題を呼んだことで、ようやくアメリカで出版された。イタリアを代表する小説家、故・イタロ・カルヴィーノとゴア・ヴィダルは友人で、カルヴィーノはヴィダルの小説『マイラ』とDuluthを高く評価している。
――彼の毎日の生活はどんなものだったのでしょうか?
「彼はラ・ロンディネイアに引き篭もっていたが、ホテル・ヴィラ・マリッアのリストランテには毎日のように来たよ。ランチとディナーに来ることが多かった。大抵は仲の良いアメリカ人夫妻とハワードが一緒だったね」
ヴィダルが毎日通ったホテル・ヴィラ・マリッアのリストランテの看板
ヴィダルが毎日食事を摂ったテラス
 パルンボ氏は席を離れると本棚へ向かいながら言った。「それと有名人が泊まりに来ると必ずここへ連れてきた。ヴィダルのプライベート写真を見せてあげよう」彼は革で装幀された2冊の分厚いアルバムを取り出して戻って来た。そこにはどの媒体にも掲載されたことがないヴィダルやヴィダルとセレブ達のプライベート写真が満載だった。
パルンボ氏とヴィダル(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
ヴィダルとBBCの記者(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
左から一人置いてヴィダル、立っているのがパルンボ氏、ティム・ロビンス、スーザン・サランドン(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
左からヴィダル、ハワード・オースティン、ジョアン・ウッドワード(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
左からヴィダル、パルンボ氏、一人置いてルドルフ・ヌレーエフ(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
マット・ディロン(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
写真左、マット・ディロンの肩に手を掛けているのがパルンボ氏、右端がハワード・オースティン(ヴィンセンゾ・パルンボ氏蔵)
――ヴィダルがラヴェッロで一番お気に入りだった場所は何処でした?
「自宅であるラ・ロンディネイアを除けば、ここだ。ホテル・ヴィラ・マリッアだ。お陰でここはゴア・ヴィダル・ファンの聖地のようになってしまっていてね(笑)五日前にもヴィダルの大ファンが泊まりに来たよ。君に会わせたかったな」
――ヴィダルは「ヴィラ・チンブローネのテラスから見る眺めは世界中で一番美しい」と言っていますが?
ヴィラ・チンブローネからの眺め
「それには秘密がある(笑)実はラ・ロンディネイアとヴィラ・チンブローネは一つの建造物なんだよ。プライベートな通路で繋がっているんだ。だから、ヴィダルは自由にヴィラ・チンブローネに出入り出来たわけだ」
――あなたがヴィダルと交わした会話の中で最も印象に残った言葉はありますか?
「彼は本当に人を笑わせることが好きで機知に富んでいた。33年間、毎日のように会話していたから今すぐ彼の印象に残っている言葉を一つだけあげろ、と言われても、とてもじゃないが思い出せないな。とにかく彼は知識と教養に溢れた男で、文学・政治・歴史・映画・時事問題、その他ありとあらゆることについて話したんだ。話題の引き出しは無尽蔵だったね」
――ヴィダルとハワード・オースティンは同性同士のカップルですが、奇異の目で見られたり、差別されたりはしませんでしたか?
「ヴィダルとハワードはゲイ(川本注・正確に言えばヴィダルはゲイではない。彼はゲイというレッテルもホモセクシュアルというレッテルも拒否している。女性との交際関係も豊富でポール・ニューマンがジョアン・ウッドワードと結婚する前にウッドワードと婚約していたこともあるくらいだ。しかし、バイセクシュアルというレッテルも嫌いで、パンセクシュアル――全性愛――という呼称を自分に当て嵌めるのを好む)だったからと言って、ラヴェッロで差別されたり、好奇の視線を浴びせかけられたりすることは全くなかったよ。この街にはアンドレ・ジッドやE・M・フォースターやヴァージニア・ウルフやトルーマン・カポーティやグレタ・ガルボ、パゾリーニのようなゲイやレズビアンやバイセクシュアルが大勢来ていたから、そういうことに関する偏見がないんだ」
――ということは、ヴィダルとオースティンはラヴェッロで普通に生活を営んでいたわけですね。
「そのとおり。ヴィダルは確かに引き篭もりがちだったが、散歩に出掛けることはよくあった。ただし、彼は一筋縄では行かない警戒心の強い、気難しい男でね。住民と打ち解けないんだ。彼に近づくのは容易なことではない。一旦、仲良くなってしまえば、非常に礼儀正しくて、親切で、優しくて、面白い人物なんだが。ラ・ロンディネイアを案内した時も言ったが、ハワードとは好対照だったんだ。ハワードは本当にフランクなナイス・ガイで街の人気者だったからね」
――そのハワード・オースティンは2003年に癌で亡くなりました。その時のヴィダルの様子はどうでしたか? オースティンの死が原因でヴィダルはラヴェッロを去ったのですか?
「ヴィダルは2003年にハワードが死んだ時は本当に悲しんだ。あれだけ健康な男なのに悲しみのあまり病気になってしまったほどだ。しかし、ヴィダルがラヴェッロを去ったのはそれが原因ではない。膝を壊したんだ。手術を受けたが治らなかった。お陰で彼は車椅子生活を余儀なくさせられている。1人で立つことすらままならない。立つ時はいつも誰かに手を貸して貰っている。ラヴェッロは階段だらけで歩けない人間は暮らしていけないからね。今はロサンゼルスに住んでいるよ」
――ヴィダルの健康状態は大丈夫なんですか?
「上半身は(笑)元気だよ。実は彼は去年の夏、ラヴェッロに来たんだ。とても元気だったし、頭の回転も衰えてはいなかった。車椅子になる前の彼と変わらなかったよ」
――去年、ヴィダルがポンペイを訪れていたのをニュースで読みました。
「そうだ。彼はイタリア再訪の旅に来たんだ。ポンペイに来る前にラヴェッロにやって来た。しかし、彼は車椅子だから、多くの階段を上って行かなければならないラ・ロンディネイアを再び訪れることは出来なかった。残念なことだ」
――ラ・ロンディネイアで起きた面白いエピソードを教えて下さい。Palimpsestにも書かれていますが、1994年7月にファースト・レディー時代のヒラリー・クリントンがヴィダルを訪問しましたよね?
「あれも大事件だったが、私が一番驚いたのはイタリアのTV局がヘリコプターでラ・ロンディネイアをアマルフィ海岸上空から空中撮影した後、そのままラ・ロンディネイアに無理矢理着陸して、ヴィダルにインタビューを始めたことだね。あの時は街中大騒ぎだった(笑)」
――ヴィダルは自分に関して書かれている伝記のほとんどが間違っていると言っています。親友のあなたから見て、彼の意見は正しいと思いますか? 彼は嘘や作り話だらけだと言っていますが。
「そんなことを言っているのか(笑)」パルンボ氏は急に断固とした口調になった。「私も幾つかの伝記に目を通したが、間違ったことが書かれているとは思っていない。どれも正しいことが書かれていると思う」ここでパルンボ氏は悪戯っぽく笑って私の目を覗き込んだ。どうやら「ヴィダルは気難しい男だって言っただろう?」と言いたかったようだ。
――フレッド・カプランの伝記でハワード・オースティンは「ヴィダルは豚だ。大食漢だ」と言っています。彼はそんなに食べるんですか? 一時期太ったのはそれが原因ですか?
「いいや、その発言は正しくないよ。彼は大食ではない。至って普通だな。ただし……酷い大酒飲みなんだ」
――「アメリカの作家はみんなアル中だ。アメリカにいたら作家はみんなアル中になってしまう。アメリカには何処かそういうところがあるんだ」(日本の文学書にこの問題発言は取り上げられたことがある)と言ったヴィダルがですか? フレッド・カプランの伝記には、ヴィダルが午後5時までは絶対飲まないようにしていた、と書いてあります。
「とんでもない! 彼はここ、ホテル・ヴィッラ・マリアに来て朝の10時からウィスキーを生で飲み始めることがしょっちゅうだったよ(笑)ウィスキーとウォッカがお気に入りでね」
――確かに、胃にポリープがあるのにウォッカを寝酒に飲んで就寝し、翌朝、ポリープが潰れて大量に吐血し、病院に担ぎ込まれたことは、ニュースでも取り上げられました。
「ああ。まあ、丈夫なうえ病院嫌いな男なので3日で退院してしまったが……(笑)」
――ヴィダルは「肺に煙を吸い込めないので煙草はもちろんのこと、マリファナやアヘンはやらないが、コカインは旬の牡蠣のようなものだからたまにはやることがある」と書いています。あなたはヴィダルがドラッグをやっているのを見たことがありますか?
「ドラッグをやっているところは見たことがない。それらしき様子だったことも見たことがない。33年間、1度もだ。酒だけだよ」パルンボ氏は意味深に笑いながらまた私の目を凝視した。「ヴィダルは偽悪家なんだよ」と彼が言いたがっているのがよくわかった。私は最後に相当明け透けな質問をぶつけることにした。
――ヴィダルは「私がエイズにならなかったかったのは、50代くらいから人とベッドを共にすることがなくなったからだ」と書いており、「年を取ると、セックスが訴訟に取って代わる」とマーティン・エイミスのインタビューでも発言していますが、本当のところはどうでしょう?
「さあ?(笑)どうだろうね(笑)彼はゲイ(川本注・だから違うって)だからね(笑)」と言うと、パルンボ氏は意味ありげな微笑を何度も何度も顔に浮かべながら私と握手し、インタビューは終了した。

 パルンボ氏が語ったゴア・ヴィダル像はアメリカやイギリスにおける彼のパブリック・イメージとそれほど差異はない。しかし、ヴィダルが「嘘は罪悪だ」と虚言症で有名だったライバルのトルーマン・カポーティを徹底的に攻撃し、100万ドルもの賠償金を要求する裁判を起こして最終的に謝罪させた割には、ヴィダル自身も細かい点では――罪のない誤魔化しがほとんどで嘘も方便と言ったところだが――私生活を守るためだったり、「冷戦時代のマルキ・ド・サド」の異名をとる自分のパブリック・イメージを強調するためにわざとアンモラルな人間であることをアピールしようと、事実と異なることを書いたり、発言したりしていることはよくわかった。そういった意味では実に有意義なインタビューだったと言えるだろう。そして、このインタビューの翌日、東日本大震災が起こり、その被害は遠くラヴェッロにも間接的に及ぶのだが、それはまた別の話だ。

 この他にヴィダルのパートナーだった故・ハワード・オースティンに関する取材をラヴェッロの住人に行いましたが、その記事の中の一部を『バディ』8月号(6月21日発売)に使ったので、『バディ』からの転載許可を待っています。Gore Vidal in Ravello Part4でそのインタビューを掲載する予定です。今暫くお待ち下さい。

2011年5月22日日曜日

Wikipediaには載っていない! 2011年のゴア・ヴィダルの動向Part5

ゴア・ヴィダルとのインタビューが本決まりになり、私は六月末日に渡米致しますが、その前に先日行われたモントリオールのブルー・メトロポリス文学祭におけるゴア・ヴィダルのオープニング・スピーチのニュースが入って来ましたので詳細を。カナダ人へのリップサービスは割愛します。
ゴア・ヴィダルはオープニング・スピーチで「アメリカ人は地球上で最も非常識な連中だ。私はただただ彼らが良くなることを願っている」とぶちかまし、「アメリカは、世界の国々へ経済的な援助をしている、と嘘をつき続けている」と発言。
「世界は石油が不足していることに感謝しなければならない。アメリカ帝国は歴史において更に小さな脚注に過ぎなくなるだろう」と続け、最後に「私は戦時下大統領だ」と語り、ブッシュ元大統領と共和党について「公然たるファシストの集まり」と断言した。
Gore Vidal in Montreal | rabble.ca

2011年5月20日金曜日

今日発売の『スナイパーEVE Vol40』にDVD『マイラ ―むかし、マイラは男だった―』の紹介記事が掲載されました


今日発売の『スナイパーEVE vol.40』のP.121「EVE FORUM NEWS」欄に私が執筆した「ハリウッドを震撼させたカルトムービー!! 『マイラ ―むかし、マイラは男だった―』」が掲載されました。
小さな囲み記事ですが、ご覧になって下されば幸いです。

2011年5月19日木曜日

ゴア・ヴィダルへの質問及び掲載媒体を募集します!

お知らせです。
ゴア・ヴィダルの出版社であるDoubleday/Vintage Booksやイギリスのゴア・ヴィダルのエージェントであるCURTIS BROWNなどに独自で交渉したものの、失敗。
タトル・モリ・エージェンシーを介し、再度粘り強く交渉を続けたところ、ゴア・ヴィダルのエージェントを突破することに成功し、ゴア・ヴィダルの秘書からメールが届きました。
メールには「インタビューに乗り気である。君はこちらへ来るのか、電話インタビューしたいのか? 早く相談したい」と書いてあったので、私は即座に「直接会ってインタビューしたい。六月中旬以降ならいつでも渡米する」と返信しました。

ほとんどゴア・ヴィダルのインタビューは本決まりになった、と言っていいでしょう。
ここでゴア・ヴィダルへの質問を皆様から広く募集します。

ゴア・ヴィダルの愛読者である方、ゴア・ヴィダル原作の『マイラ ―むかし、マイラは男だった―』をDVDで観た方、ゴア・ヴィダルが脚本を手掛けた映画を見た方、ゴア・ヴィダルが俳優として出演した映画を見た方、トルーマン・カポーティとの確執でゴア・ヴィダルを知っている方、ゴア・ヴィダルの名前を知っているだけだが、彼に訊いてみたいことがある方――彼はアメリカでは「リベラルのゴッドファーザー」と呼ばれるほど著名な政治評論家でもあります――、LGBTの方――ゴア・ヴィダルはパンセクシュアル(全性愛者)でゲイ小説『都市と柱』やトランスジェンダー小説『マイラ』の著者でもあり、世界的に著名なLGBTアクティヴィストです――、どんな方でも構いません。

ゴア・ヴィダルの詳細なプロフィールについては、私がそのほとんどを執筆しているゴア・ヴィダル - Wikipediaをご覧下さい。

私のメールアドレスに質問したいことを送るか、このBlogのコメント欄に質問を書き込んで下さい。私があなたに代わって質問して来ます。
どうぞよろしくお願い致します。

なお、掲載を約束している媒体が1つ、掲載を企画会議に掛けている段階の媒体が2つ、返事待ちの媒体が1つありますが、どれもまだ本決まりではありません。
ゴア・ヴィダルへのインタビューの掲載媒体を募集しています。
総合誌・文芸誌・政治雑誌・映画雑誌・新聞なんでも構いません。
もし掲載してみたい、という編集者の方がいらっしゃったら私のメールアドレスまでご連絡下さい。
掲載媒体の読者のニーズに合わせた質問をして来ます。
どうぞよろしくお願い致します。

なお、 映画『マイラ ―むかし、マイラは男だった―』の原作である『マイラ(ゴア・ヴィダール)』 復刊リクエスト投票は現在も続行中です。
現在、38票。復刊には100票が目処です。
皆様のご協力をお願いします。

2011年5月18日水曜日

Gore Vidal in Ravello Part2

・An Interview with Signor Vicenzo Palumbo(ヴィンセンゾ・パルンボ氏とのインタビュー)
ゴア・ヴィダルの親友ヴィンセンゾ・パルンボ氏 




ヴィンセンゾ・パルンボ氏は現在72歳。イタリア語、フランス語、英語を操る教養人で、元々はフランス語の教師をしていたが、現在は3つのホテル、ホテル・ヴィラ・マリッア、ホテル・ジオルダーノ、ヴィラ・エヴァ、そしてゴア・ヴィダルから託されたラ・ロンディネイアのオーナーでもある富豪である。ヴィダルとは彼の息子共々、親友で、33年間に渡ってヴィダルはホテル・ヴィラ・マリッアのリストランテに通い詰めた。ヴィダルのパートナーであるハワード・オースティン亡き後、最もヴィダルの私生活に詳しい人物である。
 私はラ・ロンディネイアを案内してもらいながら最初のインタビューを行い、その後ホテル・ヴィラ・マリッアにて2日間、合計3日間に渡って取材を敢行した。なお、このインタビューは全て英語で行われた。

At La Rondinaia(ラ・ロンディネイアにて 201138日)

ホテル・ヴィラ・マリッアからラ・ロンディネイアに向かう細い階段を歩きながらパルンボ氏は話し始めた。私はまずパルンボ氏から見たヴィダルについての質問を投げかけてみた。「彼はラヴェッロの住民と打ち解けて(familiar)いましたか?」と訊くとパルンボ氏はfamiliarfamily(家族)と誤解し、「彼はゲイだ。ハワードもゲイだ。家族なんかいやしないよ」とやたらと「ゲイ」という単語を大声で連呼したため、私は少々怯んでしまった。パルンボ氏は続いてヴィダルのラヴェッロでの生活と性格について語り出した。
「ヴィダルは今でもラヴェッロの名誉市民だが、ラ・ロンディネイアに引き篭もっていることが多かったね。彼のパートナーのハワード・オースティンとは好対照だ。ハワードは社交的なナイス・ガイで毎日ラヴェッロを歩き回っていたから。オールディーズを歌うのが非常に上手かった。素晴らしい歌手だったよ。ヴィダルは変人で偏屈だったが、人を笑わせることが大好きだった。ユーモアとは違うんだ。ウィットに富んでいるんだ。とても面白い人物だ。イタリア語は読めたし、聞き取れたんだが、どうしてなのか自分でイタリア語を話すのを嫌ってね。ただし、イタリア人にイタリア語で話しかけられることは好きだった。そして英語で答えるんだ。変わっているだろう? ここがラ・ロンディネイアだ。ヴィダルが住んでいた頃は彼が著名人ということもあって厳重な電子ロックがかかっていたんだよ(英国作家でヴィダルにラ・ロンディネイアでインタビューしたマーティン・エイミスも同じことを書いている)」
 ラ・ロンディネイアの最初の入り口とパルンボ氏


「ここが雑誌のグラビアなどにも多数掲載された、ヴィダル専用のアマルフィへの直通階段だ。30分でアマルフィまで下っていけるが、下るのも上るのもかなりきつい」
ヴィダル専用アマルフィ直通階段
 私は取材の空いた時間にラヴェッロからアマルフィまで歩いてみたが、2時間かかったうえ、ひたすら続く階段を下るだけで疲れ切って死にそうになり、アマルフィでタクシーを拾ってラヴェッロへ帰った。とてもあの階段を上るなどということは常人には出来ない。
ラヴェッロからアマルフィへの案内看板
ラヴェッロからアマルフィへの階段
途中で階段が閉鎖されていたため私はこれを乗り越えた
アマルフィ到着
ヴィダルが毎日通ったアマルフィ海岸
「それをヴィダルは車椅子になるまで日課にしていたんだ。マーティン・エイミスがヴィダルと一緒にここを上り下りした時、死にそうな思いをしたと書いていたって? そうだろうね。ヴィダルは超人だ。彼の長寿と健康の秘密はこの階段にあるのかもしれないな」それならば、と自分も階段を下ってみようとした私はパルンボ氏に制止された。「おおっと、今、そこは閉鎖してあるから入っちゃ駄目だ!」
 門を抜け、長い回廊を通る。回廊の右手には芝生に覆われた巨大な庭が見えた。ヴィダルはそこで犬を放し飼いにしていたという。回廊は途中から階段となり、母屋へと繋がっていた。

回廊
回廊の階段

回廊からの眺
「ここがヴィダルご自慢のプールだよ」


「さて、やっと母屋だ」母屋の門にはヴィダルが守護像として置いていたキュベレ像があった。

母屋の門
キュベレ像

  パルンボ氏は入ってすぐ左の部屋に私を導き入れた。「ヴィダルの書斎だよ。それほど大きくないだろう。彼はここをファンのためにほとんどそのままにしてある」

ヴィダルの書斎
ヴィダルが書斎に残していったポートレイト
「本棚を見てごらん。ヴィダルの著書が世界各国で翻訳されたものも含めて全て揃っているだろう?」そこには邦訳されたヴィダルの著作も並んでいた。「君の言うとおり、ヴィダルは8000冊の蔵書を全てアメリカに持ち帰ってしまったがね。これが彼の机だ。タイプライターを4つ、自分のポートレイト、そしてラ・ロンディネイアで最後に飲んだ酒のボトルとコップまで残していった(笑)」

ヴィダルの机
ヴィダル愛用のタイプライター
予備のタイプライター
ヴィダルが最後にラ・ロンディネイアで飲んだ酒とコップ
図々しくもヴィダルの机に座る私
 書斎で一頻り撮影を行った後、パルンボ氏は巨大な邸宅の中を早足で案内し始めた。
「ここがヴィダルの義理の兄妹、ジャクリーン・ケネディ・オナシスが泊まった部屋だよ。彼らの仲は複雑なものだったようだが(笑)」
ジャクリーン・オナシスが使った部屋(改装中)
ジャクリーン・オナシスが使ったバスルーム(改装中)
 パルンボ氏はすぐにジャクリーン・オナシスが泊まった部屋を早足で通過すると、72歳とは思えない敏捷さで階段を駆け上りながら言った。
「他にも部屋が無数にあるのでハイペースで行こう。日が暮れてしまう。ラ・ロンディネイアは改修中で照明がないんだ。ここがヴィダルの元婚約者だったジョアン・ウッドワードとポール・ニューマン夫妻が泊まった部屋だ。ほら、ジョアン・ウッドワードのポートレイト」

ヴィダルの元婚約者だったジョアン・ウッドワードの写真
「こっちがスーザン・サランドンが泊まった部屋だ」

スーザン・サランドンが泊まった部屋
「テラスに出よう。素晴らしい眺めだろう? 一旦、屋上へ登ろう。写真を撮ってあげるよ。下に幾つか部屋が見えるだろう? あそこは独立したアパルトメントとしても使えるくらい広いんだ。今は改修工事を行っている」

テラス
屋上への階段
屋上
屋上からの眺め
 テラスを経由して小さな回廊を通る。そこには年代物の豪華な壷が道に沿って並べてあり、たわわに実った蜜柑の樹が植えてあった。パルンボ氏は果実をもぎ取り、私に手渡した。
「ほら、食べ頃だ。あげよう。美味しいだろう?」蜜柑はオレンジとは違い、日本のそれに近く、果汁たっぷりで瑞々しかった。「ハワードが生きていた頃、彼は庭で葡萄を作って自家製ワインを醸造していたからラ・ロンディネイアは果樹園の様相を呈していたね(笑)さて、ここからがヴィダルとハワードの居住スペースだ。ヴィダルのベッドルーム、バスルーム。ハワードが使っていたキッチン。リビング。ハワードは料理を作るのが大好きで料理の本を出版したこともあることは知っているね? さて、そろそろ日が暮れてしまう。夜になる前にここを出なければ」

1878年製の壷
蜜柑の樹
蜜柑
ヴィダルのベッドルーム
ヴィダルのバスルーム
キッチン
リビン
こうして我々はラ・ロンディネイアを後にした。あっという間に終わった訪問に思えたが時計を見たところ、既に3時間が経過していた。それだけ巨大な邸宅だったわけだ。ホテル・ヴィラ・マリッアに帰り着いてから、パルンボ氏のアシスタント、シニョーラ・リーナが小声で耳打ちしてきた。

シニョーラ・リーナ
「ラ・ロンディネイアは今、買い手を募集しているんです。110億円するんだけど、日本人はお金持ちだから買いたいという人はいませんか? 宣伝してくれるととても助かります」
 私は笑いながら、日本は今、未曾有の大不況にあること、格差社会になったために貧しい人間は増えたが金を持っている人間は確かに持っているし、アマルフィを舞台にした文字通り『アマルフィ』という邦画が作られたからアマルフィの人気は高いが、ラヴェッロは日本ではほとんど知られていないから難しいだろう、110億円あったら私が買いたいくらいだが、まあ宣伝してみるよ、と言って、この日のインタビューは終了した。