2011年5月18日水曜日

Gore Vidal in Ravello Part2

・An Interview with Signor Vicenzo Palumbo(ヴィンセンゾ・パルンボ氏とのインタビュー)
ゴア・ヴィダルの親友ヴィンセンゾ・パルンボ氏 




ヴィンセンゾ・パルンボ氏は現在72歳。イタリア語、フランス語、英語を操る教養人で、元々はフランス語の教師をしていたが、現在は3つのホテル、ホテル・ヴィラ・マリッア、ホテル・ジオルダーノ、ヴィラ・エヴァ、そしてゴア・ヴィダルから託されたラ・ロンディネイアのオーナーでもある富豪である。ヴィダルとは彼の息子共々、親友で、33年間に渡ってヴィダルはホテル・ヴィラ・マリッアのリストランテに通い詰めた。ヴィダルのパートナーであるハワード・オースティン亡き後、最もヴィダルの私生活に詳しい人物である。
 私はラ・ロンディネイアを案内してもらいながら最初のインタビューを行い、その後ホテル・ヴィラ・マリッアにて2日間、合計3日間に渡って取材を敢行した。なお、このインタビューは全て英語で行われた。

At La Rondinaia(ラ・ロンディネイアにて 201138日)

ホテル・ヴィラ・マリッアからラ・ロンディネイアに向かう細い階段を歩きながらパルンボ氏は話し始めた。私はまずパルンボ氏から見たヴィダルについての質問を投げかけてみた。「彼はラヴェッロの住民と打ち解けて(familiar)いましたか?」と訊くとパルンボ氏はfamiliarfamily(家族)と誤解し、「彼はゲイだ。ハワードもゲイだ。家族なんかいやしないよ」とやたらと「ゲイ」という単語を大声で連呼したため、私は少々怯んでしまった。パルンボ氏は続いてヴィダルのラヴェッロでの生活と性格について語り出した。
「ヴィダルは今でもラヴェッロの名誉市民だが、ラ・ロンディネイアに引き篭もっていることが多かったね。彼のパートナーのハワード・オースティンとは好対照だ。ハワードは社交的なナイス・ガイで毎日ラヴェッロを歩き回っていたから。オールディーズを歌うのが非常に上手かった。素晴らしい歌手だったよ。ヴィダルは変人で偏屈だったが、人を笑わせることが大好きだった。ユーモアとは違うんだ。ウィットに富んでいるんだ。とても面白い人物だ。イタリア語は読めたし、聞き取れたんだが、どうしてなのか自分でイタリア語を話すのを嫌ってね。ただし、イタリア人にイタリア語で話しかけられることは好きだった。そして英語で答えるんだ。変わっているだろう? ここがラ・ロンディネイアだ。ヴィダルが住んでいた頃は彼が著名人ということもあって厳重な電子ロックがかかっていたんだよ(英国作家でヴィダルにラ・ロンディネイアでインタビューしたマーティン・エイミスも同じことを書いている)」
 ラ・ロンディネイアの最初の入り口とパルンボ氏


「ここが雑誌のグラビアなどにも多数掲載された、ヴィダル専用のアマルフィへの直通階段だ。30分でアマルフィまで下っていけるが、下るのも上るのもかなりきつい」
ヴィダル専用アマルフィ直通階段
 私は取材の空いた時間にラヴェッロからアマルフィまで歩いてみたが、2時間かかったうえ、ひたすら続く階段を下るだけで疲れ切って死にそうになり、アマルフィでタクシーを拾ってラヴェッロへ帰った。とてもあの階段を上るなどということは常人には出来ない。
ラヴェッロからアマルフィへの案内看板
ラヴェッロからアマルフィへの階段
途中で階段が閉鎖されていたため私はこれを乗り越えた
アマルフィ到着
ヴィダルが毎日通ったアマルフィ海岸
「それをヴィダルは車椅子になるまで日課にしていたんだ。マーティン・エイミスがヴィダルと一緒にここを上り下りした時、死にそうな思いをしたと書いていたって? そうだろうね。ヴィダルは超人だ。彼の長寿と健康の秘密はこの階段にあるのかもしれないな」それならば、と自分も階段を下ってみようとした私はパルンボ氏に制止された。「おおっと、今、そこは閉鎖してあるから入っちゃ駄目だ!」
 門を抜け、長い回廊を通る。回廊の右手には芝生に覆われた巨大な庭が見えた。ヴィダルはそこで犬を放し飼いにしていたという。回廊は途中から階段となり、母屋へと繋がっていた。

回廊
回廊の階段

回廊からの眺
「ここがヴィダルご自慢のプールだよ」


「さて、やっと母屋だ」母屋の門にはヴィダルが守護像として置いていたキュベレ像があった。

母屋の門
キュベレ像

  パルンボ氏は入ってすぐ左の部屋に私を導き入れた。「ヴィダルの書斎だよ。それほど大きくないだろう。彼はここをファンのためにほとんどそのままにしてある」

ヴィダルの書斎
ヴィダルが書斎に残していったポートレイト
「本棚を見てごらん。ヴィダルの著書が世界各国で翻訳されたものも含めて全て揃っているだろう?」そこには邦訳されたヴィダルの著作も並んでいた。「君の言うとおり、ヴィダルは8000冊の蔵書を全てアメリカに持ち帰ってしまったがね。これが彼の机だ。タイプライターを4つ、自分のポートレイト、そしてラ・ロンディネイアで最後に飲んだ酒のボトルとコップまで残していった(笑)」

ヴィダルの机
ヴィダル愛用のタイプライター
予備のタイプライター
ヴィダルが最後にラ・ロンディネイアで飲んだ酒とコップ
図々しくもヴィダルの机に座る私
 書斎で一頻り撮影を行った後、パルンボ氏は巨大な邸宅の中を早足で案内し始めた。
「ここがヴィダルの義理の兄妹、ジャクリーン・ケネディ・オナシスが泊まった部屋だよ。彼らの仲は複雑なものだったようだが(笑)」
ジャクリーン・オナシスが使った部屋(改装中)
ジャクリーン・オナシスが使ったバスルーム(改装中)
 パルンボ氏はすぐにジャクリーン・オナシスが泊まった部屋を早足で通過すると、72歳とは思えない敏捷さで階段を駆け上りながら言った。
「他にも部屋が無数にあるのでハイペースで行こう。日が暮れてしまう。ラ・ロンディネイアは改修中で照明がないんだ。ここがヴィダルの元婚約者だったジョアン・ウッドワードとポール・ニューマン夫妻が泊まった部屋だ。ほら、ジョアン・ウッドワードのポートレイト」

ヴィダルの元婚約者だったジョアン・ウッドワードの写真
「こっちがスーザン・サランドンが泊まった部屋だ」

スーザン・サランドンが泊まった部屋
「テラスに出よう。素晴らしい眺めだろう? 一旦、屋上へ登ろう。写真を撮ってあげるよ。下に幾つか部屋が見えるだろう? あそこは独立したアパルトメントとしても使えるくらい広いんだ。今は改修工事を行っている」

テラス
屋上への階段
屋上
屋上からの眺め
 テラスを経由して小さな回廊を通る。そこには年代物の豪華な壷が道に沿って並べてあり、たわわに実った蜜柑の樹が植えてあった。パルンボ氏は果実をもぎ取り、私に手渡した。
「ほら、食べ頃だ。あげよう。美味しいだろう?」蜜柑はオレンジとは違い、日本のそれに近く、果汁たっぷりで瑞々しかった。「ハワードが生きていた頃、彼は庭で葡萄を作って自家製ワインを醸造していたからラ・ロンディネイアは果樹園の様相を呈していたね(笑)さて、ここからがヴィダルとハワードの居住スペースだ。ヴィダルのベッドルーム、バスルーム。ハワードが使っていたキッチン。リビング。ハワードは料理を作るのが大好きで料理の本を出版したこともあることは知っているね? さて、そろそろ日が暮れてしまう。夜になる前にここを出なければ」

1878年製の壷
蜜柑の樹
蜜柑
ヴィダルのベッドルーム
ヴィダルのバスルーム
キッチン
リビン
こうして我々はラ・ロンディネイアを後にした。あっという間に終わった訪問に思えたが時計を見たところ、既に3時間が経過していた。それだけ巨大な邸宅だったわけだ。ホテル・ヴィラ・マリッアに帰り着いてから、パルンボ氏のアシスタント、シニョーラ・リーナが小声で耳打ちしてきた。

シニョーラ・リーナ
「ラ・ロンディネイアは今、買い手を募集しているんです。110億円するんだけど、日本人はお金持ちだから買いたいという人はいませんか? 宣伝してくれるととても助かります」
 私は笑いながら、日本は今、未曾有の大不況にあること、格差社会になったために貧しい人間は増えたが金を持っている人間は確かに持っているし、アマルフィを舞台にした文字通り『アマルフィ』という邦画が作られたからアマルフィの人気は高いが、ラヴェッロは日本ではほとんど知られていないから難しいだろう、110億円あったら私が買いたいくらいだが、まあ宣伝してみるよ、と言って、この日のインタビューは終了した。

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