2011年6月5日日曜日

ゴア・ヴィダルへのインタビューにあたっての難点

 ゴア・ヴィダルはその生涯があまりにスキャンダラスなため、未だ文学者からのアカデミックなアプローチが少なく、参考に出来る文学的な先行研究があまり存在しない。これが今回インタビューを前にして質問を作成するにあたって大変苦慮しているところである。政治評論家としての活動があまりにも顕著なため、彼へのインタビューはほとんどが政治絡みの質問で埋め尽くされることが多く、文学的インタビューは少ない。ヴィダルの包括的な伝記としてはニューヨーク市立大学の英文科教授、Fred Kaplan(ヘンリー・ジェイムズ、ディケンズ、トマス・カーライルの伝記で有名)による850ページにも及ぶGore Vidal:A biography(1999)があるが、あまりにヴィダルの伝記的側面に著者が魅了されているため、個々の作品についてはおざなりな論評しか行っていない。
 文学的側面からのアプローチとして最も優れた本は、ヴィダルのLiterary executor(文学遺言人とでも訳せばいいのだろうか)であるジェイ・パリーニ(伝記小説『終着駅―トルストイ最後の旅』が新潮文庫から刊行されている)が編纂したヴィダルに関する文学者達のエッセイを集めたアンソロジー、Gore Vidal:Writer Against The Grain(1992)で、有名どころではイタロ・カルヴィーノが『マイラ』とDuluth、ハロルド・ブルームが『リンカーン』について論じており、ジェイ・パリーニ自身によるゴア・ヴィダルへの文学に関するインタビューも収録されていて、大変参考になるが、ヴィダルを高く評価し、エッセイで何度もヴィダルを論じたアンソニー・バージェスのエッセイ群が含まれていない点で画竜点睛を欠く。
 他にはSusan Baker(ネバダ州立大学英文科教授。専門はフェミニズムとシェイクスピア)とその夫が出版したGore Vidal:A Critical Companion(1997)があるが、従来の批評家の意見に従い、ヴィダルを専ら歴史小説家として論じているので、目新しい発見は何もなかった。
 最近では著名なオーストラリアの政治学者デニス・アルトマン(『ゲイ・アイデンティティ――抑圧と解放』、『グローバル・セックス』が岩波書店から刊行されている)のGore Vidal's America(2005)があるが、これは政治学・社会学の観点からのヴィダルの著作へのアプローチであり、文学的な研究書としてはあまり参考にならなかった。ヴィダルの初期の作品については、J・W・オルドリッジが『ロスト・ジェネレーション以後』(荒地出版社。原著刊行1951)でかなりのページを割いて論じているが、50年代初頭という時代の趨勢もあり、感情的にさえ思えるホモフォビックな批判を繰り返している点が目立つ。
 ゴア・ヴィダルの現在置かれている文学的立場は、彼のライバルであるトルーマン・カポーティが生前置かれていた状況に酷似している。カポーティはあまりにスキャンダラスな人生を歩んだため、生前は文学的評価が低かった。死後、手の平を返したようにアカデミシャンたちに賞賛されたが、ヴィダルにも同じようなことが起こりうるのだろうか。

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